第2回イタリア映画よもやま話

ディエゴ・マラドーナはランディ・バースか

ディエゴ・マラドーナが亡くなった。彼の死の第一報が届いたのは日本時間の夜遅くだったので、私がそれに気づいたのは、ほかでもないイタリアの友人によるSNSの書き込みだった。祖国アルゼンチン、スペインのサッカー・リーグで活躍していたマラドーナは、1980年代に弱小サッカーチームだったSSCナポリの強化のために招かれ、セリエAで7年間プレイし、ナポリを2度優勝に導いた。それが理由で、ナポリでは今でもマラドーナが神様と崇められており、個人経営のバールなどで、彼の写真やポスターが貼ってあるのをよく目にする。そんなわけで、マラドーナの訃報は、ナポリを中心にイタリア全土で大きな衝撃を与え、SNSは追悼コメントであふれかえったのだった。

弱小チームを優勝に導いた外国人助っ人という意味では、阪神タイガースにおけるバースのような存在なのか。いや、マラドーナはより濃く、深く、ナポリの人々の心に入り込んでいるように思われる。もはや彼らのDNAの一部になっているという印象さえ受ける。

だが、神様マラドーナには影の部分もあり、ナポリ滞在時は犯罪組織カモッラとの黒い交際、浮気相手とのあいだにできた子どもの認知拒否などなど、スキャンダラスな私生活を送っていた。夭折の歌手エイミー・ワインハウスのドキュメンタリー『AMY エイミー』などで高い評価を受ける映画制作チームが、2019年に『ディエゴ・マラドーナ 二つの顔』を発表している。その編集を担当したクリス・キングの説明がこうだ。「周囲の人間にインタビューをしていくうちに、ディエゴとマラドーナという二人の異なる人物像が浮かび上がった。マラドーナは大衆が見ていた傍若無人なサッカー選手で、ディエゴは心優しい好青年。最終的にマラドーナだけが残って、ディエゴは押しつぶされてしまった」

なるほど。そうなってくると、バースではなく清原に似ているのかもしれない。やんちゃな「番長」というパブリックイメージが先行するあまりに、自らもそのイメージに潰されてしまった。だが人々は心のどこかで、野球を愛する高校球児の彼を忘れられないでいる。選手としての偉業に加え、マラドーナにもこれと似た二面性があったからこそ、尋常では考えられないスターになりえたように思う。

そんなマラドーナを描いた作品でもう一つ気になるのが、2021年にNetflixで公開予定のパオロ・ソレンティーノ監督”È stata la mano di Dio”(それは神の手だった)というフィクション映画だ。ナポリで生まれ育ったソレンティーノ監督は現在50歳で、まさに多感な青年時代にマラドーナの活躍を間近で見ていた。ソレンティーノは2013年にアカデミー外国語映画賞を受賞したとき、「この賞を、私の創作の源泉となったフェデリコ・フェリーニ、マーティン・スコセッシ、トーキングヘッズ、ディエゴ・マラドーナに捧げます」とコメントしている。面白いことに、ソレンティーノは愚直に、この4つの源泉を主題にした映画を撮ってきた。フェリーニ的な映画を撮り、スコセッシ的な映画を撮り、トーキングヘッズが出てくる映画を撮った。そして今回はついにマラドーナにお鉢が回ってきたのだ。果たしてナポリのDNAに染みこんでいるマラドーナを、ナポリ人ソレンティーノはどのように描くのだろうか。

パオロ・ソレンティーノ監督

それを考える上でのヒントがある。実はソレンティーノはすでに、自らの映画にマラドーナを登場させているのだ。2015年に公開した『グランドフィナーレ』だ。「老いの先にある希望」をテーマにした本作は、スイスの人里離れた高級ホテルが舞台となっている。そこは世界のセレブたちが集まる保養地で、重要な公演を断り続ける高齢の名指揮者フレッドは、日がな友人たちと四方山話に明け暮れている。そこに滞在しているセレブの一人にマラドーナらしき人物がいる。もはや温水プールをゆっくりと歩くことしかできない肥満体になり下がり、呼吸困難を引き起こしては、酸素ボンベを携帯している連れの女性に助けてもらう。その様子をホテルの滞在客たちは遠巻きに見ている。スーパースターの変わり果てた姿は、物語の本筋に関係ないのだが、主人公たちがうっすら感じている過去の栄光の虚しさを、再認識させる役割を果たしている。

いかにもソレンティーノらしい演出だ。というのは、彼は全作品を通して「醜いものをどれだけ美しく撮るか」に固執しており、それが彼の映画の大きな特徴になっている。つまり、ここでマラドーナははっきりと「醜」の対象として描かれているのだ。そしてその傾向は、少なからず新作でも見られるのではないかと予想される。

 奇しくも2020年11月上旬にソレンティーノは”È stata la mano di Dio”の全シーンを撮り終えたと発表していた。まさかその数週間後にマラドーナの訃報を聞くとは思っていなかっただろう。この「喪失」が編集作業に何かしらの与えるのか。一ファンとして映画の公開を楽しみに待ちたい。

この記事を書いた人
二宮 大輔

観光ガイド、翻訳家 2012年ローマ第三大学文学部を卒業。観光ガイドの傍ら、翻訳、映画評論などに従事。訳書にガブリエッラ・ポーリ+ジョルジョ・カルカーニョ『プリモ・レーヴィ 失われた声の残響』(水声社)。

関連記事

第10回「イタリア映画よもやま話」
フィルムがない! フェデリコという友人がいる。職業は映画製作を企画してお金を工面する映画プロデューサーだが、決して仕事が上手く行っているわけではない。「ローマに住んでいて、最初は映画監督と知り合って感動していたが、そのうち皆そう名乗っていることに気づいた」とは、ローマ在住歴の長い日本人の言。それほどまでに、映画の町ローマには、映画を撮ろうとする監督志……
インバウンド観光のゴールデンルート!
ヨーロッパのイタリアやスペインから日本を訪れる観光客には定番の日本縦断ルートがある。インバウンド観光客のゴールデンルートと呼ばれているルートである。海外の旅行社で初めて日本を訪れる観光客には以下の様なルートが紹介される。 東京ー高山ー白川郷ー金沢ー京都・奈良ー広島・宮島ー大阪 東京から名古屋は東海道新幹線 / 名古屋から高山は JR ワ……
第11回「フランス食べ歩き紀行」
「冷凍食品でディナー!」 フランスへ来て一週間経ったころ、僕はスーパーに冷凍食品を買い込みに出かけた。 じつは当初、下宿の部屋には冷蔵庫がついていなかった。かなりかけあって別の部屋に移してもらうことになったのだが、最初の一週間は完全に冷蔵庫なしの生活だった。八月半ばとはいえ、残暑が厳しいパリでの新生活は、多少たいへんだった。パンばかりでは飽きる……
第8回「イタリア映画よもやま話」
 ルカ・グァダニーノと「他者の目」 ラジオ番組である映画評論家が「現在グァダニーノは、国際的に評価できるほぼ唯一のイタリア人監督」という趣旨のことを述べていた。裏を返せば「現代イタリア映画は不作だ」という氏の指摘に、憤慨というより、改めて痛感させられた。イタリア映画はここまで認知度が低いのか。近年アカデミー賞や三大国際映画祭で賞を獲っている監督もいる……