第11回「フランス食べ歩き紀行」

「冷凍食品でディナー!」

フランスへ来て一週間経ったころ、僕はスーパーに冷凍食品を買い込みに出かけた。

じつは当初、下宿の部屋には冷蔵庫がついていなかった。かなりかけあって別の部屋に移してもらうことになったのだが、最初の一週間は完全に冷蔵庫なしの生活だった。八月半ばとはいえ、残暑が厳しいパリでの新生活は、多少たいへんだった。パンばかりでは飽きるので、いくら暑くてもパスタをゆがき、肉はサラミばかり、野菜は腐らなさそうなものでしのいだ。

新しい部屋に備え付けの冷蔵庫はとても小さかったのだけれど、そういう状況のあとではとてつもなくすばらしい文明の利器に思えた。なにしろ買ったものが腐らないし、ビールを冷やすことだってできる。おまけに、そう、冷凍食品を買い込むことだって。

スーパーの冷凍食品コーナーはかなり充実している。とりあえず好奇心のおもむくまま、目につくものを買い物かごに放り込む。ハンバーグ、フライドポテト、カット野菜、サーモン、それにアイスクリーム。なかなかひもじい生活をしていたので、フリーザーのなかが宝の山に思えた。

さっそくその晩、ハンバーグ(steak haché)を焼いて食べた。味はとても牛肉っぽく、解凍してしっかりもみこまなかったからか、文字通りミンチ肉のステーキという感じ。それでもしっかりおいしい。あいまに、冷えたビール――もちろん1664――をぐびり。カット野菜もチンしてマヨネーズやマスタードでいただく。デザートはアイスクリーム。

ようやく、満ち足りた気分で夕飯を終える。自分にとっては初めての「ディナー」という感じ。それまではなかなかちゃんと自炊する気分にもならなかったけれど、これからはなんとか暮らしていけそうだな、と思った。窓の外はすっかり暗くなっていた。少し肌寒い風が部屋に吹き込み、秋の到来を告げた。

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フランスの冷凍食品文化は拡大を続けていて、たとえば日本へも上陸を果たしたピカール(Picard)が有名だ。実店舗に行ってみればわかるが、食のほとんどの領域をカバーできるといっても過言ではない。前菜、スープ、寿司、フォアグラ、ステーキ、舌平目のムニエル、ムール貝の白ワイン煮込み、デザート……などなど。鍋やフライパン、電子レンジさえあればフルコースが用意できてしまう。ちなみにピカールはオンラインショップもあるので、興味があればぜひのぞいてみてほしい。

ある日、フランスの友人の実家に招かれて、夕飯をとることになった。お母さんは敏腕ジャーナリストで、健康にうるさいと聞いていたので、「ビオ食材を用いたヘルシーなフルコースが食べられるかも」と僕は内心わくわくしていた。しかし、その期待は見事に裏切られることになった。というのも、お母さんはベジタリアンであり、若いころから健康のために夕飯を食べないようにしているらしく、そういう手の込んだ料理をほとんどしないのだそうな。(彼女の名誉のために付け加えるが、フランスは共働き家庭も多く、特別な場合をのぞいて家で料理らしい料理をしないという家庭は近年多いらしい)。

お腹がすいた僕らの目の前に運ばれてきたのは、冷凍野菜とチキンをチンしてマヨネーズソースをかけたもの。チキンをパックのまま電子レンジにかけ、お皿に移して終わり、という調理になんとなくげんなりしながら――それでもベジタリアンであるお母さんは僕たちにとても気を遣ってくれたのだろうと思う――、失礼にならないように全部食べたのを覚えている。おいしいです、と口では言いながら、おかわりは断ってしまった。そのあと、デザートに僕が買って行ったラデュレのマカロンが出てきたときには、心の底からほっとしたのだった。

この記事を書いた人
松葉 類

大学講師。専門は現代フランス哲学。 共著に『現代フランス哲学入門』(勁草書房)、訳書にF・ビュルガ著『猫たち』(法政大学出版局)、M・アバンスール著『国家に抗するデモクラシー』(法政大学出版局)がある。

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