第12回(最終回)「イタリア映画よもやま話」

イタリア人観光客と『ラストサムライ』

先月からジョニー・デップ主演の『MINAMATA』が全国で公開されている。題名からもわかる通り、日本の四大公害病の一つ水俣病を扱った映画だ。水俣病とは1950年代に熊本県水俣市で集団発生した中枢神経疾患で、後年になって、熊本県水俣市にあった化学工業メーカーのチッソの工場から海に廃棄されていたメチル水銀化合物が原因だと認定された。

映画では、1971年から1974年にかけて水俣市に住み、水俣病患者を撮影し、写真集を刊行した写真家ユージン・スミスが主人公となっている。酒に溺れていた元従軍記者のユージン・スミスは、後に妻となる日本人通訳アイリーンから、水俣病に苦しむ住民を撮影してほしいと頼まれる。ユージン・スミスはアイリーンとともに、現地に移り住み、水俣病に苦しむ人々の姿を撮り、巨大企業に立ち向かっていく。

 映画は水俣病そのものというより、写真家ユージン・スミスの英雄伝という性格が大きい。実際には、撮影の話を依頼したのはアイリーンではないし、ユージン・スミス一人が巨大企業に立ち向かった訳ではない。明らかに映画用にドラマチックに仕立てられている。そのために、簡略化され、歪曲された事実があるという指摘も多い。とりわけ、水俣の近くにいた人たち、支援してきた人たちにしてみれば、水俣病の問題が改めて世界的に知られる一方で、事実が正確に伝わっていないことに戸惑いがあるようだ。

 とりあえず私自身は『MINAMATA』をまだ観ていないので、映画についてこれ以上あれこれ言うのは差し控えるが、映画の評価を聞いて、似たような戸惑いを自分も感じていることに思いいたった。私の場合は、被害者がいるわけでもなければ、深刻な社会問題でもないので、単純に比較することはできないという留意した上で話を続けさせてもらうと、私にとっての戸惑いは『ラストサムライ』だった。イタリア人観光ガイドを始めて、かなりの高確率でイタリア人観光客が『ウルティモ・サムライ』(※『ラストサムライ』のイタリア語名)を鑑賞して日本に興味を持ったという事実を知った。観光ガイド中、私が『ラストサムライ』を観たことがないと聞くと、「絶対に観たほうがいい」と強く勧めてくれたナポリの高校教師のおばさんもいた。イタリアでの一般的な知識として浸透している『ラストサムライ』を鑑賞しておかなければ、今後ガイドの仕事に支障をきたすのではないか。そう思った私は満を持して鑑賞した。あらすじは以下のようなものだ。

 南北戦争で多くの殺生をしたオールグレン大尉は、除隊後、良心の呵責から酒に溺れる生活を送る。そんな折、軍隊訓練のために、明治政府からお雇い外国人として日本に招かれる。赴任して間もなく、明治維新後も古き良き侍の精神を貫く士族の長である勝元が、鉄道を襲ったという報を受ける。出動したオールグレンとその部隊だったが、勝元軍に返り討ちに遭い、オールグレンは生け捕りにされてしまう。勝元が統治する村で手当てを受けたオールグレンは、村人と触れ合うなかで、徐々に侍の精神に惹かれていく……。オールグレン大尉をトム・クルーズが、勝元を渡辺謙が演じたことでも話題になった。

さて、『ラストサムライ』を観た私の感想は「なんか違う」だった。ここでは日本のことを語っているようで、日本を題材にした一大ドラマが語られている。だからと言って「それは違う」と頭ごなしに否定するのもはばかられるし、映画とは異なる事実としての日本を伝えることも、なかなか難しい。だが、日本観光に来たイタリア人は、確実に『ラストサムライ』の延長線上の世界を目にしている感覚でいるのだ。また、『ラストサムライ』が公開された2000年代初期の日本国内の反応も、日本人俳優がハリウッド・スターと共演したことに嬉々とするばかりで、ここで語られている日本が「なんか違う」と物申すことはなかったように記憶している。日本人の多くは、「外国人がつくった映画なのだから、事実と違って当然、それを違うと指摘するのは無粋」という意識のもとで鑑賞したのではないか。

その態度こそがイタリア人を始めとする観光客の理解する日本と、現実との乖離を大きくしているように思う。『MINAMATA』も『ラストサムライ』も、映画で扱われているテーマが広く知られるきっかけになったという一点においては絶対的に正しい。それを否定することなく、むしろそこからスタートして、どこまで事実に近づけるか。観光ガイドの仕事では、いつもそれを考えている。

MINAMATA

この記事を書いた人
二宮 大輔

観光ガイド、翻訳家 2012年ローマ第三大学文学部を卒業。観光ガイドの傍ら、翻訳、映画評論などに従事。訳書にガブリエッラ・ポーリ+ジョルジョ・カルカーニョ『プリモ・レーヴィ 失われた声の残響』(水声社)。

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